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1、マッチングだけでなく寄り添うことを目指す

聖書の中に「隣人をあなた自身のように愛しなさい」とイエスが語るシーンがあります。最も近い隣人(他人)である結婚相手をもし自分自身のように愛せるなら、お互いの両親をも真心からの思いやることができ、子どもがやがて結婚する時にもそのように愛するようになり、結果、自分自身の心配や不満の芽を無くすことに繋がります。自分にとってだけでなく、一家、両家、子供の将来の家庭に、(もっと言えば社会に)対する良い関係の好循環を生み出すことになります。そのために結婚相手を見つけるだけでなく、結婚する前段階で自分と相手をよく知り、お互いの人生を豊かにし合うための結婚生活になるようなプログラムを提供したいと考えています。

平成28年度に文科省の提出した資料によって、日本の子どもたちの自己肯定感が諸外国に比べて低いことが大きく取り上げられました。書店には多くの自己肯定感を高めるための自己啓発本が並んでいます。教育学では健全なself imageを持つためには幼少期の環境や教育の重要性が説かれています。しかし、現代の日本社会の風潮として家庭内のことはアンタッチャブルで不可侵の領域となっており、家族以外で人の幼少期に関わることができるのは幼稚園、保育園、小学校などの公機関のしかもその活動時間だけという限りなく区切られた時間内だけになっています。幼少期の大部分を過ごす家庭や、核となる夫婦が問題を抱えた時に最も身近で親身になってくれるのがインターネットであることも少なくありません。問題が大きくなって公的な役所や裁判所で初めて他者が関わるというケースもあります。この現状を前にその夫婦関係が決定づいていく結婚前段階から、マッチングやカウンセリングなどの関わり合いを通してサポートできる仕組みを作りたいと考えました。新婚夫婦や新米パパママが何か問題を抱えた時に気軽に頼れる一つの選択肢になりたい、問題がまだ何でもないことであるうちに雑談できる関係、居場所でありたいと願っています。

2、肩書や条件でなくその人の人格を重視したマッチング

周囲に未婚の友人がいて、魅力的な人間にも関わらず周りにクリスチャンの同年代がいない、職場も同性で出会いのチャンスがないなど、結婚したい気持ちはあるのに現実がそぐわない状況の深刻さを知らされました。一般企業が展開する街コンやネットのマッチングサイトを利用することも出来ますが、条件や趣味嗜好が合うかどうかということを重要視するあまり、その人自身の将来のビジョンや、内なる情熱ともいえる使命(召命)は二の次(そもそも考えていない)となっています。私の父が聖書学校の学長をしていたので私は聖書学校の中で育ったのですが、卒業生同士で結婚するのをよく見ました。それはそれぞれがしっかりとビジョンを持ち、お互いのパーソナリティを知ることのできる場所だっためでしょう。(学生たちも冗談でその聖書学校をBibleの頭文字でなくBridal(結婚)のBだと笑っていました。)日本では結婚をゴールインと表現する文化があります。結婚するとすべてが一変し、バラ色の人生が待っている、もしくは結婚式が幸せの絶頂だというような言葉が錯綜しています。が、結婚した人なら結婚はあくまで日常の延長線上にある通過儀礼のようなものにすぎないことを体験します。全く中身の変わらない自分自身と全く中身の変わらない相手が一生付き合っていく約束をするのが結婚ですから、その人の持つ肩書や条件に信用を置くのではなく、その人の中身そのもの(内なる情熱・パッション・ビジョン)に共感し心から賛同できなければ後は我慢に耐える苦痛しか残りません。もし条件で選んだのであれば更なる優良物件が目の前に現れた時に乗り換える(=浮気・離婚)というのが合理的だという結論になるのが普通ではないでしょうか。私たちはこの結婚マッチングを通して、条件や肩書の比較ではなく、その人個人が持つパーソナリティに惚れ込んで結婚を選んでほしい、結婚して夫婦となってからも個人として互いを高め合う二人でいられるようなサポートをしたい、そのために教会主導のキリスト教精神に基づいた婚活・マッチングを始めることにしました。


 一ノ瀬 薫

1988年兵庫県生まれ。4歳から小学校5年まで父(関西聖書学院長大田裕作)の宣教でインドネシアに育つ。関西学院大学社会学部卒業。2010年、広告代理店の営業、イタリアンレストランの従業員として働く。2011年京都インターナショナルユニバーシティーアカデミーで国語教師となり2016年出産を機に退職。2015年に夫一ノ瀬健太と結婚。現在一男一女の母。


"I,'m OK, You're OK"

前職で国語教師をしていた際に、毎年高校生と読書会を行っていました。読書会が終わる頃には、自分でも知らなかった自身の内面に向き合っていたことに皆気付きます。私自身も夏目漱石を読んだ年に私自身のテーマとなる「"I,'m OK, You're OK"神視点の私の価値)」というものに出会いました。生徒たちと一緒に、「文豪も私たちも皆同じく『なりたい自分になれない、したいと思う善が行えないで、かえってしたくない悪を行ってしまう』というどうしようもない矛盾で葛藤していること」に気付いたのです。高校生たちは「他人と自分を比べて『あいつよりはマシ』と高慢になったり『あの人みたいになれない』と卑屈になったり嫉妬と優越感と他人からの目に振り回される自分に嫌気がさす」と言っており、教師である私も「自分はまあまあいい人間だ、わりと人気もある」という自己評価で安定を得ている気になっていました。自分や誰かを基準にした物差しを用いるとその基準を上回ると傲慢になり、下回ると卑屈になってしまいます。聖書には「あなたは高価で尊い」「神の子として...」「私はあなたを友と呼ぶ」など、ひとりひとりが主体で、神様から愛され慈しまれる存在というself imageを持って人生を肯定的に歩んでほしいというメッセージが書かれています。神による人に向けての"You are OK!" という絶対的な価値基準です。相対的な尺度は達成度に左右され、達成できなかったときには"I'm not OK"になってしまいますが、相対的基準をやめて神の絶対的基準に生きることで自己価値を見いだせない時も、自分でなく神の基準で"I'm OK"なんだ!と能力や達成度に左右されることなく言えるようになります。 また"I,'m OK, You're OK"で生きるようになるとself-imageが「成長」します。私自身、結婚を通じて最も近い他人である夫と共同生活を営むことになり、"I,'m OK, You're OK"を実践で学ぶことになりました。「愛する・愛される」こと「尊ぶ・尊ばれる」ことを(嫌な時でも!!)人生の最重要課題として取り組むことに決めました。そうすることで概念だけでなく体験的に「I'm OK! You're OK!!」と思えるようになり、初めて卑屈にならなくても、相手を攻撃しなくてもいい、正統性を主張し合わなくてもいい人間関係を築けるようになりました。無条件で受容してもらえる親子間ではここまで到達できなかったと思います。かえって、フラットな状態から選び選ばれ決断によって成り立った関係だからこそ、維持するための努力を要し、self imageを成長させられたのだと考えます。

学習院で漱石が『私の個人主義』の講演した時、目の前には日本を担う若者たちがいました。漱石は個人主義の講演を通して、自己の個性の発展を深めるように励まし、他者の個性の発展も認めることが個人主義であり、人として幸せを作る生き方なのだと主張しました。私もまたすべての人に"I,'m OK, You're OK"を握って幸せに生きて欲しいと願っています。

~自分自身のように人を愛しなさい。(聖書)~

  これが私の原点です。あなたが、人が、何が出来るか、何をなすかでなく、神の絶対基準に立って"I,'m OK, You're OK"で生きることで、漱石の個人主義も、他者と比較して一喜一憂する悩みの解決も、達成できるのだと確信しています。

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